真のコーチは、コーチングをしない

■ はじめに

コーチングを学んだ多くの方々から、よくこうした声を耳にします。

「クライアントが集まらない」
「どう集客したらいいかわからない」
「価格設定ができない」
「コーチとして独立したいが、生計を立てるイメージ持てない」

そのたびに私は静かにこう尋ねます。

「あなたは、いったい何をしたいのですか?」

これは、意地悪な質問ではありません。
むしろ、ここを間違えると、すべてがズレてしまうからです。


■ コーチングは“手段” であり、“目的”ではない

人は、せっかく学んだものを活かしたくなります。
「学んだからやりたい」「この価値を伝えたい」

この想いは自然なものですが、
ただ、強すぎる熱は、
ときに“手段を目的化する” という歪みを生みます。

  • コーチングをしなければ

  • コーチングを案内しなければ

  • コーチングを買ってもらわなければ

この“手段ありき”の発想が、
クライアント不在のコミュニケーションを生んでしまう。

■ 肩書き「コーチ」の違和感

「◯◯コーチ」「コーチさん」
という呼び名、呼称をよく聞きます。
しかし、私はその表現に静かな違和感を覚えます。

コーチとは役割であり、機能であり、職業名でも地位でもありません。

クライアントとの
”関係性”の中で必要な瞬間にだけ立ち上がる“役割”です。

肩書き化されることで、本人が“コーチ”であろうとするあまり、
自然な関わりを失うことすらあります。


■ 経験した「問い直しの出来事」

実は、私自身にも
“コーチングとは何か” を根本から問い直す出来事がありました。
過去、コーチング実践が審査される場に参加した時のことです。

詳しい設定は控えますが、その場に入った瞬間、
どこか“空気のざらつき”のようなものを感じていました。
クライアント役の方とは初対面、
その他の参加者とは気さくに話されていたのに、
なぜか私とのやり取りだけがぎこちなく、目に見えない距離のようなもの
を感じていました。

その“わずかな違和感”に必要以上に注意が向いてしまい、
集中したい気持ちと、場に馴染まない感覚の間で、静かな揺れがずっと残っていました。

結果的に、そのセッションは不十分な関わりになり、
再チャレンジとなりました。

その後、希望者にはクライアント役とのフィードバック面談の機会があり、

当日の自分自身の課題は理解し納得していたのですが、

それ以上の何かを期待し、学びを深めたいと思い、少し遅れての設定をしました。

フィードバック当日、最初に私の理解を求められ、
課題・理解・改善策を丁寧に言語化しました。

ただ、その後の私へのフィードバックは、想像を超えるものでした。
出てくる言葉は、私がすでに話した内容をただ繰り返し、
“新しい視点”が提示されることは一切なく、

「もっと早く面談を申し込むべきだった」「なぜこうしなかったのか」

と詰問のような言葉が続きました。さらに、
「次は何時間練習するのか」「どのスケジュールで改善するのか」
と細部まで指示され、私は静かに言葉を受け取るしかできませんでした。
最後に、審査当日に感じたあの時の違和感をほんの少し伝えた瞬間、

「あなたは私が誰かに気にかけられなければ何もできない哀れな人間だと思っているのか」

と、その言葉は、強い怒りの感情の揺れをそのまま帯びて私に届き、
ここまでの残念な気持ちも重なり、落胆とともに、
ただ静かにその言葉を見届けていました。

 

その一連の体験は、どんなベテランコーチであっても、

対話における目の前の“人へのまなざし”次第で、

大切な”場”が崩れてしまうのかを深く痛感した出来事になりました。

── コーチングとは、資格でも、型でも、形式でもない。
目の前の相手をどう扱うかという、“姿勢”そのものだ。

大きな転機になりました。


■ 真のコーチは、手段を問わない

私はその体験を通じて、深く理解しました。

真のコーチとは、
コーチングが上手い人のことではない。

真のコーチとは、

  • 相手の本当の課題を、
    静かに・正確に・深く受け止められる人。

  • 必要であれば、
    コーチングでも、カウンセリングでも、
    コンサルでも、沈黙でも、何でも選べる人。

  • 型ではなく、相手を見る人。

その柔らかく、しなやかな姿勢、
自由度こそが、真のコーチングを成立させます。


■ 真のコーチの3つの条件

・ 課題の本質を見抜くまなざし
相手の言葉の奥にある“構造”を丁寧に扱うこと。

・ 必要な関わりを自由に選べる柔らかさ
手段に優先順位をつけず、“いま必要な関わり”を迷いなく選べる成熟性。

・ 相手の存在を丁寧に扱う姿勢
スキル以前に、「この人は、大丈夫だ」という静かなまなざし。


■ コーチングを目的にしない

これは決して挑発ではありません。

本当にコーチングができる人は、
“コーチングを目的にしない”人です。

だからこそ、必要なときにだけ、
コーチングが自然と立ち上がる。肩書きでも流派でもない。

その瞬間の“まなざし”と“姿勢”こそがコーチングの正体です。

■ 最後に

・コーチングは技術ではなく、
人の心と向き合うための“器”である。

型を学んだあと、
多くの人がぶつかる違和感や迷いは、この言葉に収束していきます。

真のコーチは、コーチングをしない。

むしろ、そこにこそ、もっとも深いコーチングが宿っているのです。