フィードバックは厳しさか、優しさか

 

 

 

どんな立場であっても、
フィードバックをする場面は突然訪れます。

後輩に伝えるとき。
メンバーを育てたいとき。
あるいは、家族との関わりの中でも。

そのたびに、
“どう言葉を選べば良かったのだろう”と
静かに立ち止まる瞬間があるのではないでしょうか。

私自身も、何度この問いに向き合ってきたか分かりません。

その経験のなかで少しずつ気づいてきた、
「厳しさ」と「優しさ」のあいだにある静かな場所について、
今日は書き残してみたいと思います。

 

 


フィードバックという行為は、
何度向き合っても、どこか不思議なものだと感じます。

厳しすぎれば、
相手の心を閉ざしてしまうし、
優しすぎれば、
どこにも届かずに流れていきます。

この“どこか微妙な境界線”を、
いつも自分の中でそっとなぞりながら、
相手の言葉や表情を感じ取っている自分がいます。


■ 厳しさとは、相手の「核心」に触れること

私は、相手が避けてきた部分に触れてしまうことがあります。
意図的というより、自然とそこに言葉が向かってしまう──
その方が正しいのかもしれません。

たとえば、講師としてクライアントのプレゼンを拝見している時、

「生のあなたがいない気がする」
「言葉は整っているのに、何も伝わってこない」

そんなふうに、ポンと伝えてしまうことがあります。

少しだけ強さをまとった言葉になることもあり、
その瞬間、場の空気がふっと張りつめることがあります。

ただ、その言葉が出てくる背景には、
その人の奥にある

“本当に大事にしているもの”

が、
まだ言葉として形になっていないだけで、
確かにそこに「存在している」と、
どこかで強く感じてしまうからなのだと思います。

厳しさとは、相手を傷つけるためのものではなく、
その人の本質に触れようとする、
ある種の、無意識で純粋な願いのようなものなのかもしれません。


■ 優しさとは、相手の“存在”を扱うこと

優しさは、言葉そのものよりも、
その前後の“空気”に宿っている気がします。

何気なく目が合った瞬間や、
相手が少し呼吸を整えたときの「間」。

そのわずかな変化を感じながら、

「大丈夫ですよ」
「まず事実から一緒に見ましょう」

そんな穏やかな言葉が、
すっと自然に出てくることがあります。

優しさとは、
相手の存在をそのまま受け取り、
否定しないまま隣に立つこと。

そんな穏やかで静かな姿勢に近いのだと思います。

厳しさを伝える前に、
その人が“安心して受け取れる土台”を
そっと用意してあげること。

これが、優しさの本質なのかもしれません。


■ その境界線はどこにあるのか

厳しさと優しさの境界線は、
存在するようで、存在しないようでもあります。

なぜなら、
すべては関わる側の
“意識”と“まなざし” に宿るからです。

自分は相手を正したいのか。
自分の正しさを通したいのか。

それとも、
その人が次のステージに進む背中を、
静かに押したいのか。

意識が「成長」に向いているとき、
どんなに厳しい言葉でも、
相手の中に“ぬくもり”として届きます。

逆に、
自分の感情や正しさが中心にあるとき、
どれほど優しい言葉でも、
どこか寒々しさを纏ってしまうことがあります。

厳しさと優しさの境界線──
それは結局、伝える側の“心の静けさ”の中にあるのかもしれません。


■ 現場で起きていること

先日、ある若手のプレゼンに、
私はこう伝えました。

「あなた自身の物語が見えない」

その瞬間、彼は少し驚いた表情を浮かべ、
傷ついたのかもしれません。

でも、丁寧に問いを重ねていくうちに、
彼の言葉の奥から、
小さな本音が静かに顔を出してきました。

その瞬間、
語られる言葉に質量が生まれ、
声の響きが変わり、
プレゼンそのものがスッと別のものに変容しました。

フィードバックとは、
相手の“心の声”をしっかり受けとめ、
相手自身がそれを取り戻す手伝いなのだと、
あらためて感じた出来事でした。


■ フィードバックの3つの層

私はいつも、
目の前の相手を尊重しながら、
静かに、以下のことに関わっております。


・ 事実に触れる

まず、“何が起きたか”だけを見る。
評価や感情を混ぜず、
自分の呼吸を整えながら。


・ 思考に触れる

次に、
問いとこたえ、
事実と解釈の区別、
焦点の位置など。

その人の思考の流れを一緒に整えていく。


・ 物語に触れる

最後に、
その人の内に静かに眠っている“物語”に触れる。

「あなたは何を大事にしていたのか」
「なぜ、それを選んだのか」

そうした問いを通じて、
その人の本質にある物語、その人自身の真の価値に触れていく。

その貴重な瞬間を、共にそっと見守ってゆく。


■ おわりに

厳しさと優しさは、
どちらかを選ぶものではなく、
どちらも大切にしながら、
その間を静かに行き来するような感覚に近いのだと思います。

そして、フィードバックとは、
相手の心を“動かす”というより、
相手の心が
“自然と動き出す瞬間”
そっと見守ることなのかもしれません。

そんな瞬間に立ち会えることは、
本当にありがたく、対話の冥利に尽きると感じています。